町の記憶と町づくり学部
浪江町のアイデンティティを記録する記憶の町づくり
本学部は、神戸大学の槻橋修先生が主催する「失われた街」という、この度の震災で文字通り失った町を模型で復元するプロジェクトとの出合いがすべてです。2011年12月に東京のギャラリーで開催された「失われた街」展から、下記に紹介する「記憶の町ワークショップfor浪江町」までの経緯はfacebookに書いてありますのでご参考にしてください。
町の記憶とは、槻橋先生も言われるように「記憶がなくなった町を復興しようとしても、その町に愛着は生まれるでしょうか」という考えにとても共感します。3・11以前から町づくりとして様々な専門家が関わってきました。それはそれで評価されるべきと思いますが、そのほとんどの建築家はモノをつくるということが前提としてあります。3・11以降、安藤忠雄さんが「建築家は建物をつくるということだけなのか」というようなことを新聞で語られているのを読み、「失われた街」プロジェクトを選んだことはまちがいではなかったと思うようになりました。
再開発と称して切り札のように提案される「町づくり構想」は、ほとんどが似たようなものに思えます。そこには、「町とは何か」という本質的な問いかけが、そこに住む人たちと建築家との間に共有されずに、機能性とか効率性など、つまり無駄を排除する現代的な発想によって作られているように思われて仕方ありません。それは、ある程度住民が密集する都市部であればそれなりの意味のあることだと思いますが、今回の震災で失われた地方、とりわけ浪江町のように過疎に加えて核災の影響が覆いかぶさる町にそのまま当てはめてもいいでしょうか。「不便・不要なコト・場所」こそ、絆をつなぐ仕掛けとして、これまでの浪江町には存在していました。これらを排除したコミュニティに愛着は生まれません。そこに生まれる「思いやり・助け合い」などは、人がコミュニティで生活するうえで必要不可欠のエチケットなのです。その深層にまで遡るプロセスを経ずに町づくりをすることはあり得ません。浪江町も例外なく、こうしたアイデンティティを確認するために町民が記憶を辿り、共有していることを確認できるからこそ、浪江町を離れて避難している今でさえも浪江町を思い、懐かしさが込み上げてくるのです。「記憶の街for浪江町」は、その意味で復興する浪江町を考える際の最も有効な手段となりえるものです。
「記憶の街」は決して新しい町を提案していません。新しい町を考えるのは、浪江町民です。「記憶の町」はそのための本質的なお手伝いをしてもらえます。「記憶の街」プロジェクトは、権現堂、請戸地区の模型復元に終わりません。復興するために、浪江町の様々な地区を復元していただき、浪江町の記憶をつないでいく予定です。本学部は神戸大学の「失われた街」プロジェクトなしには成立しません。
■これまでの活動
2012年 月に請戸地区の模型復元依頼
2013年2月22~26日『記憶の街ワークショップ in 浪江町』開催(二本松市市民交流センター)
■専任アドバイザー
槻橋 修 (つきはし おさむ)
1968年、富山県高岡市出身の建築家。神戸大学准教授。1991年京都大学工学部建築学科卒。1998年、東京大学大学院博士課程卒業。日本建築学会賞教育賞受賞(2009)。